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小中村 清矩 国文学者 東京都
小中村清矩晩年の旅と酒井美意子著『ある華族の昭和史』
http://www.mediakiryu.biz/tubuyaki/9.htm
@BotMiyoko 木龍の谷崎bot
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小中村 清矩 国文学者 東京都
【法史学の散歩道】わが国初の日本人法学部教授は穂積陳重と小中村清矩です。後者に「?」と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、彼は「有職故実」の学を修めた、純然たる歴史家です。彼が法典調査会に入っていることからも、明治政府の民法典への思いのたけが伝わってきますよね。
@Ritsuryo_tan 律令たん@雑事法務研究会
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小中村 清矩 国文学者 東京都
川田順著『葵の女』には、彰義隊が好きだという少年時代の詩が掲載されているが、谷崎活版所支店があったあたりや清澄庭園に行って(非常に近い)、川田甕江、小中村清矩、佐々木弘綱の交流の元が見えてきた。谷崎作品背景人脈とも繋がる。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B0%E7%BE%A9%E9%9A%8A
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小中村 清矩 国文学者 東京都
ハプログループM7aの有名人は香琳院、徳川家慶、一条秀子、有田哲平、太田光等。谷崎作品に一条家は深く絡む。小中村清矩の親戚に太田氏。谷崎の祖父は釜六の番頭だったが釜六も太田氏。そのいとこ釜七は田中氏。 / “ハプログ…” http://htn.to/Ljcj3V
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小中村 清矩 国文学者 東京都
小中村清矩日記より
(明治21年6月)十日 晴。(中略)○午後一時芝紅葉館行。華族亀井茲監ぬし三週追遠哥会也。(以下略)
http://www.mediakiryu.biz/tubuyaki/1.htm
この日、谷崎の祖父久右衛門が亡くなった(ことになっている)。
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小中村 清矩 国文学者 東京都
志賀直哉の祖父は相馬家の家令だったのだが、何と相馬氏は千葉氏の庶流!
谷崎の父の長兄の岳父、小中村清矩の母と妻の実家である臼倉氏と繋がった!
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小中村 清矩 国文学者 東京都
小中村清矩日記、明治28年2月15日。日清戦争終盤。
○今般江沢藤右衛門入来。今般斎二郎、朝鮮京城へ出立ニ付、辞別に同道。
谷崎が野津鎮武に連れ回されたのが明治27年。斎二郎さんは、明治25年に小中村清矩三男の三作さんの養子になっている。
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小中村 清矩 国文学者 東京都
谷崎も訪れているが、谷崎の父の長兄の岳父である小中村清矩も訪れている。 / “創業:西暦1502年、徳冨蘆花の定宿「株式会社千明仁泉亭」 | 社外取締役 社長の110番” http://htn.to/cY1Khw #谷崎潤一郎
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細江光著『谷崎潤一郎深層のレトリック』に、谷崎の父の長兄藤右衛門と、小中村清矩の三女との間の長女・次女が双子で、生まれた際、小中村清矩が命名し、「澄みわたる江沢のふち(淵・藤)の二た方に流れて清き生い先や見ん」と詠んだと書かれている。淵は岩淵(清矩の母と妻の実家)か。
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小中村 清矩 国文学者 東京都
谷崎作品関連でブックマーク。小中村清矩とお春どんと三牧等 / “原田宗輔 - Wikipedia” http://htn.to/THaTd1y #谷崎潤一郎 #細雪 #蘆刈
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