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坪井 玄道 体育学者 千葉県
軟式テニスは日本で生まれた。なぜか?昔の日本は硬式のボールは作れる技術はなかった。輸入していた。かなり高価だった。そこで、明治17年に坪井玄道はゴムボールを利用して、軟式テニスを始めた。明治23年、日本最初のゴム会社、三田土ゴムがテニス用ゴムボールを製造し始めた
@TeckeyD TECKEY DAMERSON
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坪井 玄道 体育学者 千葉県
明治35年に坪井玄道が日本に卓球を持ち込んだ年に、日本でセルロイドのピンポン球を製造した業者も突き止めました。そのうち発表しますのでお楽しみに!
@ItoJota1964 伊藤条太
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坪井 玄道 体育学者 千葉県
卓球って中国よりも日本に伝わったのが早いのね。坪井玄道が卓球道具とルールブックを持ち帰って日本に伝えたのが1902年で、中国に伝わったのは日本経由。上海の商人が日本から卓球道具を持ち帰って伝えた説と、上海の日本人の工場、租界、学校に日本から指導者が来て指導したときに伝わった説がある。
@avp_ky08 Momomomo
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坪井 玄道 体育学者 千葉県
卓球を見たので坪井玄道なる名を知る.戸外遊戯法にフートボールがあるとな.端艇もそうらしい.おまけに嫌いだったドッジボールもか.卓球では荻村の名しか知らないな.最近の女子男子の名も知っているか…
@kc14061 Hu-Century
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坪井 玄道 体育学者 千葉県
"すなわちシュピース(ミュンヘンを中心にして南ドイツ、欧州全土、イギリス、アメリカ、マサチューセッツ、アマースト・カレッヂ)→リーランド→坪井玄道→嘉納治五郎の系譜とスウェーデン体操系、すなわちリング→ベレンソン、ニールス・ポッセ→井口阿くり→永井道明の系譜がある。"
@amzkhb ∧
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坪井 玄道 体育学者 千葉県
“初めて日本に紹介されたのは明治42年、可児徳氏と坪井玄道氏によって「円形デッドボール」という名称でした。大正2年に東京府体育委員会から公布された「学校体操教授要項」の中の競争を主とする遊戯の中に挙げられています。” https://www.dodgeball.or.jp/%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%B8%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2/?mobile=1 #nhk #いだてん #いだてん東京オリムピック噺
@yoshiful_saney 好古真之
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「円形デッドボールは可児氏と坪井玄道氏によって紹介された」これは事実です。記録にもあります。
@ayaragiorange 綾城うしお*6.2神戸妙法寺川08
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坪井 玄道 体育学者 千葉県
1874年生まれの体育指導者で、嘉納治五郎とスポーツの普及をし、坪井玄道と日本にドッジボールを始めて伝えたことで知られる人物は誰?
@plus_shake プラス
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坪井 玄道 体育学者 千葉県
正月散歩中に以下の立看板を空き地の片隅に見つけた。
坪井玄道は日本語のサッカー解説書の初の著者でもあり東京高師教授時に蹴球部長を務め日本サッカーの源流作った人らしい。
高校サッカーが盛り上がっているが全てはこの人からなのだ…
2006年に日本サッカー殿堂入り。
http://library.footballjapan.jp/user/scripts/user/story.php?story_id=993 pic.twitter.com/niOeDlVUCn
@NoboruTsuzuki Noboru Tsuzuki
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しかも紹介したの「坪井玄道」か。大学に銅像立ってて、ポケモンGOのストップになっているあの、坪井玄道
@kanipan666 (V)・∀・(V)かにぱん。@つくば